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6/30 最終日

人間にはやらなければいけない事というのが、確かに存在する。
私やぎは生徒からの評判と保護者からの評判が極端に違います。
見た目人畜無害なので大人からは
「やさしそう」
とか
「生徒を怒ったりしないでしょ。」
とか言われます。
確かにお笑い系の塾なので、講師の先生も僕も普段は朗らかです。
ところが・・・。

中学一年生のN.A君。
先日方程式の問題を解いているときのことです。
うちではある段階こえると、方程式の問では絶対に検算をして、先生に提出するときは100%あっていないといけません。
もちろんその時もプリントを配ったときに
「検算もするように!」と言いました。
N.A君が解けたというので回収に行き
「検算したか?」と言うと
「うん。」
と言う返事だったので答え合わせを始めると、30問中5問間違い

やぎ「・・・N.Aさぁ、検算した?」
N.A「検算って・・なに?」
やぎ「出た答えを問題の式に入れて計算するやつや。」
N.A「あ〜あれか。やらなあかんの?」

この瞬間僕の雷が落ちます。
怒られる理由は二つ。
一つはいい加減な返事をしたと言うこと。
もう一つは、検算をしなければいけないと思っていなかったこと。

もし僕が塾の講師でなく親だったら、前者を重点的に注意したのでしょうが、僕は後者を重点的に注意しました。

受験というと知識の集約のように思われがちですが、それは記憶力と理解力が一定の水準に達してからの話で、中学生レベルでは圧倒的に「技術」の方が重要なのです。
技術とは何か。
それは「絶対にこの方が正しい」
とされていることをいかに反射的にできるか。
だと僕は思っています。

将棋や囲碁の技術が上がると言うことは、プロ同士の対局でならいざ知らず、ヘボレベルでは定石を蓄積させることです。
定石というのは「この方が絶対によろしい。」
とされていることで、数学にも無数に存在するのです。

関数の問題ではグラフを書く。
単純な計算問題でも途中式を必ず書く。
確率は文章で書かれていることを絵にする。
方程式では検算をする。

どれも当たり前のこと。
偉大な先人達が築き上げてきた「定石」です。
それを守れない人間が、果たして知識的な向上などあり得るしょうか?
論理的思考など身につけられるでしょうか?
ところが、大学受験を控える受験生が新入会でやってきたりすると、
結構これができていない子がいます。
当たり前のことを当たり前にできるようになる。
それこそが勉強の第一歩なのに。

普段から徹底すると生徒達は簡単な問題ほど緊張感を持って取り組みます。
最初の動機はなんだっていいのです。
間違えると僕にこっぴどく注意されるから。でもね。
そして次のステップに進めたとき、本当に嬉しそうな顔をします。
物事を探求するときにもっとも必要な資質。それは
「わかるまで前に進まないこと。」と誰かが言ってました。

ですから子供達は「やぎ先生ってやさしい?」
と誰にいつ聞かれても必ず首を横に振ります。
そしていつも
「鬼やで。」と言っています。

その言葉こそ、僕の誇りです。

どっからでもかかってこんかい!

テーマ:算数・数学の学習 - ジャンル:学校・教育

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